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教頭ブログ


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中高で『平和学習』がありました。

 八月九日は長崎原爆の日で長崎の学校は登校日です。
本校では柳原英子さんらをお招きして、平和講演会を開催しました。
Heiwagakusyu1 
柳原さんが同級生から受け取った一通の手紙の朗読から、講演会は始まります。

柳原さんは長崎高等女学校生であったとき学徒動員先の工場で被曝しました。

やっとのことで家に戻ったものの、原爆症の症状が出はじめ死の恐怖と戦っている
ときに届いたのが、同級生の宮津弘子さんからの手紙でした。

彼女とは学徒動員先の工場で一緒の班となったことで仲良くなりました。被曝した
ときに足を痛め、防空壕で呆然としていた柳原さんのところに、杖になる木を探して
くれたのも彼女でした。

便せん三枚の表裏に並ぶ報告は、どれも悲しいことばかり。ですが、その手紙は「死
ぬのか」と弱気になっていた栁原さんの心の支えになりました。「いずれ学校も始まる
でしょう」という結びの言葉を胸に、一週間かけて返事の手紙を書かれたと言います。
Heiwagakusyu_2  Heiwagakusyu_3_2 
Heiwagakusyu_4_2 


しかし、一ヶ月後に届いた返事は、彼女ののお父さんからのものでした。元気にみえた宮津さんも、原爆症を発症され、返信をまたずに亡くなっていたのです。 手紙の朗読のあと、11時2分の黙祷を捧げました。

柳原さんは大勢の前で話すことは初めてのこと、ということで、生徒の質問に答える
質疑応答というかたちで、会は進んでいきました。

柳原さんはずっとこの手紙を御守りとしてきました。手紙を読むと優しかった彼女と
話しているようで元気になれたといいます。

67年が経ち、原爆について知っているようで、本当にその時代のことをしっているか
というとこ、大変心許ないという現実があります。

冒頭の校長先生からのお話で、「当事者でないので語る資格がないから語らない
という姿勢では、結局、多くの歴史は語られないままになってしまいます。」「語りた
いから語っているのではありません。語らなければならないから、語っているのです」
というお言葉がありました。

いま、長崎に生きている私たちが語れることはなにか、今日を機会に考えて行きたい
と思います。

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